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單字詳情

千宗室 (14代)

淡々随筆 交友堂 1942 (茶道全書) 小習事一六ケ条伝記 一条書房 1944.2 風興集 続 河原書店 1948 無限集 淡交社 1949 花月風雅集 淡々斎宗室 浜本宗俊編 淡交社 1953 (淡交叢書) 茶室 設計詳図とその実際 村田治郎、北村伝兵衛共編 淡交新社 1959 裏千家淡々斎遺芳集

相關單字

千宗室 (15代)

千 玄室(せん げんしつ、1923年(大正12年)4月19日 - )は、茶道裏千家前家元15代汎叟宗室。斎号は鵬雲斎。若宗匠時代は宗興。現在は大宗匠・千玄室と称する。「玄室」の名は、裏千家4代目の仙叟宗室が宗室襲名前に玄室と名乗っており、これに因んで12代直叟宗室が隠居した際に玄室を名乗ったことに由来する[要出典]。本名は千

千宗室 (11代)

嘉永2年)に今日庵の表門である兜門を建て、また尊超入道親王を迎えて献茶するにあたり逆勝手大炉を切った。1860年(万延元年)に点茶盤による立礼点前を考案する。1865年(慶応元年)には禁裏献茶を行い、その時に残った茶を入れた中次(献残中次)を用い古袱紗を下敷きにする和巾点を復興披露した。

千宗室 (16代)

、詩人、2014年12月分家)、長女・阪田万紀子(葵祭・第54代斎王代)、次男・敬史(若宗匠、千宗史)の2男1女がいる。甥に伊住公一朗、伊住禮次朗(亡弟政和の息子)。 同志社大学文学部心理学科卒業。大徳寺にて参禅得度。斎号坐忘斎を授く。2003年(平成14年)に第16代家元となり、宗室を襲名。文筆家

千宗室

千宗室(せん そうしつ)は、茶道の流派の一つである裏千家の家元名。裏千家4代家元である仙叟宗室より代々この名を襲名する。 千宗室 (4代) 千宗室 (5代) 千宗室 (6代) 千宗室 (7代) 千宗室 (8代) 千宗室 (9代) 千宗室 (10代) 千宗室 (11代) 千宗室 (12代) 千宗室 (13代)

宗室

宗室(そうしつ)とは、中国・朝鮮・ベトナムにおける、広義的な皇族に対する呼び方である。 原義は、大宗の廟を指すが、転じて、天下の総元締めの義で使われた。晋代になって、士大夫の分家筋を指すこともあったが、一般的には、皇族の意に用いられている。 通常は、皇帝の父系の親族関係によって決定されるが、歴代の規定は一定ではない。

千宗左 (7代)

利休時代から存在していた茶カブキ、廻り炭、廻り花に加え、花月、且座、一二三(ひふみ)、員茶(数茶、かずちゃ)を考案し、碧巖録の七事随身の語からとって、七事式と名付けた。 啐啄斎件翁(長男。表千家8代家元) 最々斎竺叟宗室(弟。裏千家7代家元) 又玄斎一燈宗室(弟。裏千家8代家元)

代宗

(唐) (李豫、唐の第8代皇帝、在位:762年 - 779年) 明の代宗景泰帝(朱祁鈺、第7代皇帝、在位:1449年 - 1457年) 莫朝の代宗(莫敬恭、第8代皇帝、在位:1594年 - 1628年) 同諡号廟号一覧 このページは曖昧さ回避のためのページです。一つの語句が複数の意味・職能を有する場合

千宗拙

千宗拙(せんそうせつ、せんのそうせつ、文禄元年(1592年) - 承応元年(1652年))は茶人。千宗旦の長男。 生涯についてははっきりしない点が多く、父宗旦と折り合いが悪かったため早くに家を出て江戸で浪人暮らしを送っていた(宗旦に勘当されたとの説がある)。 沢庵和尚の口利きで加賀藩前田家に仕えたが

千宗旦

千 宗旦(せん の そうたん、せん そうたん、1578年2月7日(天正6年1月1日) - 1658年12月19日(万治元年11月19日))は茶人。父は利休の後妻千宗恩の連れ子千少庵、母は利休の娘お亀であり、少庵の京千家を継いだ。千家3代。宗旦流(三千家)の祖。 近年の研究により、利休の実子千

千宗屋

『茶-利休と今をつなぐ』(新潮社、2010年) 『もしも利休があなたを招いたら 茶の湯に学ぶ”逆説”のもてなし』(角川書店、2011年) 『茶味空間。 茶で読み解くニッポン』(マガジンハウス、2012年) ボクらの時代(フジテレビ、2007年7月1日) 課外授業ようこそ先輩(NHK、2010年3月21日)

千代

⇒ 加賀千代

千代

非常に長い年月。 千年。 永遠。 ちとせ。 <i>~に八千代(ヤチヨ)に</i> 非常に長い年月にわたって。 幾千年も。 「わがきみは~さざれいしのいはほとなりてこけのむすまで/古今(賀)」 <i>~の春</i> 千年までも末長く栄えよ, と祝う初春。 <i>~を籠(コ)・む</i> 千年後まで栄える趣をもつ。 「げに~・めたる霞の洞なり/増鏡(おどろの下)」

葉室宗行

鎌倉に護送される最中の駿河国藍沢原で斬られる。 辞世の詩は 昔南陽県菊水 汲下流而延齢 今東海道菊河 宿西岸而失命(昔は南陽県の菊水 下流を汲んで齢を延ぶ 今は東海道菊河の 西岸に宿して命を失う) 静岡県御殿場市の藍澤五卿神社は、承久の乱で処刑された葉室宗行・藤原範茂・一条信能・源有雅・藤原光親を祀っている。

岩室宗賢

えるのに両親、親戚が厳格であったためとし、又当時の彼には“りん”という一商家の娘と内縁関係にあって既に懐妊している状態で周囲の抑圧からの煩悶の結果一大決心したともいわれている。また武家社会の封建制のしがらみに耐えられず、武士の身分を捨て、それ以上の身分、地位を得るため僧侶か医師か学者になって自由になろうとしたのだともいわれている。

島井宗室

島井(嶋井) 宗室(しまい そうしつ、天文8年(1539年)- 元和元年8月24日(1615年10月16日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての博多商人、茶人。「宗叱」(読み同じ)とも表記される。名は茂勝。号は虚白軒。神屋宗湛・大賀宗九と並び「博多の三傑」と呼ばれる。 「武士とキリシタンには絶対になるな」などの遺訓一七ヵ条が有名。

代宗 (唐)

した代宗は、宦官である程元振を抜擢、謀反を理由に李輔国を誅殺した。だがこの粛清も、結局は程元振が朝政を掌握したに過ぎず、続いて重用された宦官である魚朝恩の場合も同様であった。このような内廷での粛清は、宦官の権力増大の原因といわれている。 外交面では763年(広徳元年)に、吐蕃の侵攻により長安を一時的

莫代宗

莫代宗(ばくだいそう、マク・カントン、ベトナム語:Mạc Cảnh Tông / 莫代宗)は、莫朝大越の第8代皇帝。名は莫 敬恭(マク・キン・クン、ベトナム語:Mạc Kính Cung / 莫敬恭)。 謙王莫敬典(中国語版)の七男で、閔宗(中国語版)の弟にあたる。敦厚王に封じられていた。康佑元年(1593年)に兄帝

千代田 (千代田区)

1967年(昭和42年)4月1日の住居表示実施に伴い、それまでの千代田区一番(皇居)全域が新町名の「千代田」となった。皇居と皇居東御苑、これらを囲む濠が町域の全てを占める。 北桔橋 平川橋 二重橋 西桔橋 大手濠 蛤濠 桜田濠 二重橋濠 半蔵濠 平川濠 大手門 北桔橋門 皇居正門

千葉胤宗

を離れたため、胤宗が留守を預かることになり千葉氏の第10代当主となる。なお六浦荘地頭の金沢北条氏は下総国守護の千葉氏と縁を重ねており、北条顕時は娘を胤宗に嫁がせることによって関係を深めている。このため北条氏との関係は深く、胤宗の名も得宗家当主・鎌倉幕府第8代執権・北条時宗より偏諱を受けて名乗ったものとみられる。